(校門を出てすぐ、小さな通り沿いの道は酷く静かで―) | |
吉野まな |
(『まだ学校なら一緒に帰りませんか。』――送ったメールに理由も何も添えられていないのは、できることなら断って欲しかったから。どうせもう彼は学校にいないと思っていたし、残っていたとして大して仲も良くない女子生徒と一緒に帰る利点があるだろうか?しかし考えるのはあの日の彼の言動。此方が彼に何かを求めていることは確実に気づかれたであろうから、あえて誘いに乗ってくるくらいのこと、彼はしてのけそうだ。だから、早く送れと横から画面を覗き込んでくる友人の抗議を流して、もともと顔文字や絵文字は使うほうではなかったけれどなるべく良い印象を与えないように意識して、わざわざ敬語で簡素なメールを作成したのに。零れたため息は冷たい空気へ白く溶けていく。結局こうして肩を並べて帰っているのだから、不思議な話だ。鞄の持ち手をぎゅっと握り締め彼の顔など見れずに前方を睨み続けながら、あの時と同じように頭の中はくるくると忙しなく働いている。思い返すのはあのときの彼の言葉――別の質問、次までに。新たな質問があるのなら誘った理由になるけれど、特別これといったものも思い浮かばなくて。ちらりと横目で彼の様子を伺えばすぐに視線を戻し、ふぅ、と一度溜めた息を白に変えた。)…遠回りじゃない?大通り出たらもう、いいから。(彼が徒歩通学か電車通学かはたまた自転車通学か、それすらも知らずに誘ったわけで、彼と道が反対方向であったら相当な迷惑をかけることになるだろう。徒歩で二十分程度の場所に吉野の家はある、丁度十分程で明るい大通りに出るだろうから、道が同じなら兎も角も違うというのならそこで帰ってもらおうと考えたのだ。此方から誘った手前あまり大きなことは言えなくて―零れる声は、少し弱いものになってしまうのだけれど。) |
夜遅くは危ないって呼びかけるなら早く切り上げればいいのにな。 | |
鉢屋三郎 |
(何でか吉野に詰め寄られた…と本人の知れない処で所以が出来ているなんて思いもよらない友人から、小さくそんな事を漏らされた処からも、吉野が調査を続けているとは疑う余地が無い事実。然しあれから距離を測られていると感じる事も間違いではないだろうし、今回のメールだって、「色気が無い…」、思わずそんな言葉が口に上った位には友好的に見える物ではない。けれど鉢屋三郎という男が、彼女の考えた通り此処で敢えて誘いに乗らない筈がないのだ。カラカラと軽い音を鳴らして空回りを続ける自転車を押し乍、ぐるぐる巻いたマフラーに口元を埋めて彼女と同じく視線は前に固定したままだ。吐く息で少し熱の篭った口元を気にして片手でマフラーをずらしていれば、耳に届いた声は胸裏に複雑なそれを燻らせる―)…誘っておいて直帰か?寄り道をした事が無いなんて言わないよな?…まぁ、別に何処まででもいいけど、此処まで来たら大人しく送られておくものじゃないのか。(会話に合わせて吉野へと視線を移せば、「こっちは自転車だし」、と理由を述べながらも語尾の上がらない問いを掛ける様に、遠慮なのかこの誘いが嫌々行われたものなのか見極める為に、探りを入れる。学園から自転車で15分も行けば鉢屋の住むマンションは見えてくる。近い事もあってか帰宅せずに友人宅に邪魔する事も少なくないのだ。彼女を送ってからでも充分に帰れる―だからまだ、逃がさぬ心算で眸を向ける)どうせ早く帰っても一人でやる事もないし。…あぁ、急いでるんなら後ろ乗せてやろうか?これならすぐだぞ。(サドルを叩いて示し乍、視線は後輪の二人乗り用ステップをちらりと捉える。寄り道や二人乗りまで彼女が気にする処かは分からないが、高校生に在りがちなやんちゃっぷりは鉢屋も例に漏れず、だ。) |
冬は特にね。その分学校始まる時間早めればいいのに。 | |
吉野まな |
(―妙な緊張が吉野を襲っていた。彼が調査対象であり以前あんなことがあったからということに付け加え、男子生徒とこうして肩を並べ二人きりで帰路を辿ること自体吉野にとってはいろんな意味で大変なことである。どくん、どくん、あの時感じた高鳴りとはまた少し違った種類の心音をじんわりと感じながら、からからと車輪の回る音がやけにはっきりと耳を通り過ぎていく。)寄り道?帰りにスーパーに寄るくらいならあるけど。そもそも寄り道ってよくわかんない、別に学校からの帰り道じゃなくても家に帰ってからまた行けばいいじゃない。(例に挙げた経験済みの寄り道は、彼の言うそれとは少しずれている気がして首を傾げる。学校から家へ帰る途中の場所に用がある場合ならばわかるが、そうではなく制服のまま意味もなくふらつく生徒の気持ちが未経験の吉野にはわからないのだ。それでも、公園のベンチに腰掛けてみたりだとか自動販売機に立ち寄ってみたりだとか、そのくらいの小さなものならば興味が沸かないこともない。しかし許容範囲はそのあたりまでだ、彼の問いかけにそれでは家まで送ってもらおうかと渋りながらも返答を返そうとしたときに持ちかけられた誘いには―)う、うしろ?いい、いい!そんなのいいから!急いでないし、…あ、歩くし、(目を丸くしてぶんぶんと小刻みに首を横に振りながら断りの言葉を告げて。鉢屋の視線が指したステップへと自分が乗ることになれば、彼に触れないように違う場所を掴み努力したって、その背中が間近、すぐ目の前になることは確か。僅かに頬が熱くなったのは寒さのせいか、それとも――彼に向けていた視線を再び勢い良く前方へと戻したところでそういえばと漸く気がついたのは、吉野にしては少し遅い反応か。)それより、自転車の二人乗りとかしょっちゅうやってるの?学園の規則とか関係なしに交通ルールで駄目でしょ、もう…それなら、…それならまぁ、寄り道のほうがマシっていうか、……してあげてもいいけど。…よりみち。(必死に思い返す彼の先ほどの言葉。誘っておいて直帰か?ということは、彼が寄り道をしたいということだ、と結びつける。自分は彼を無理に誘ったわけだから、それに乗ってやるくらいの礼はするべきだろう。それに、彼の調査も進んで一石二鳥ではないか。――だから、自分が鉢屋と寄り道をしたいわけではないのだと言い聞かせて。それならば考えておかなければ、『別の質問』を。ショートしそうな思考を奮い立たせて、彼の反応を気にしつつ相変わらず視線は前方へと縫い付けられたまま―) |
……其れは其れで面倒だな。街灯増やす方が学生に親切。 | |
鉢屋三郎 |
(双眸が細く歪められるのは寒さの所為か。ファー付のフェイクレザーダウンを着込んでいれば寒さを凌ぐには充分だが、表情に貼り付けた寒い、という言葉は容易く剥がれてはくれない物。吐く息が乾いた唇から白を滑り流し、前方から足元に視線を落とし乍、意識はきちんと隣を歩く吉野に注がれていた。密やかに。)……買い食いとか、そういうのないのか?スーパーじゃなくて、もっと友達と遊びに行くとか…。帰ってからが面倒だから寄り道するもんだと思ってたけど。(互いの言い分に間違いはないだろうが、勿論規則としては寄り道は正しい物では無いか。用が無くてもファーストフード店に足を踏み入れたりする自らとは、実に違う生活を送っているのだろうと自覚させられる。本当に―崩してやりたいと思ってしまう鉢屋は矢張りお世辞にも良い性格をしているとは、言えないだろう)…何だ。其処まで嫌がる事はないだろう。全く手酷く振られたもんだ。…まぁ、暗いから歩いた方が安全だけどな。車道側は歩くなよ。(彼女の頬の熱は暗がりの中伝わる事はないが、知ってか知らずか断りに対して肩を竦めて―実際変わらずのポーカーフェイスから気にした様子は窺えない。異性と二人の帰り道だと意識する様な可愛い時期は飛び越してしまっただろう鉢屋にとって、純粋に、今は吉野まなという人物を知る為の時間の一片に過ぎない。だからこそ、自然と紡がれていた引き止める様な言葉は、何方でも構わない、なんて思いで自己防衛されたまま―だったが、)……。…その方が移動が早いし、場所は選んでるから大丈夫だよ。……はぁ、全く素直じゃないね、お前も。折角付き合っていただけるのでしたら、寄り道の醍醐味を訓えて差し上げますけれどもね、(了承の言葉に、掛かった―と胸裏呟き乍も、今は悪意があるのではなくて。丸い眸を伏せる様にして一瞬漏れた笑みに底意地の悪さは乗せられていなかった筈。お前"も"、とは自らの捻くれた対応も承知済みだからか。茶化すように大袈裟な言葉回しでそう述べれば、「この先に公園があるのは知ってるか?」と悪戯めいた笑みと共に行き先を告げて―、のんびりと足を進めていても、住宅街を抜ければ小高い場所に建設された其の公園は直ぐに迎え入れてくれるだろう) |
時間に余裕できると思ったんだけど。街灯じゃお金かかるじゃない | |
吉野まな |
(ちらりと向けては前方へ、またちらりと向けては足元へ。彷徨う視線を落ち着かせるためにぐっと目元に力を込めて、だから眉を寄せたのは決して不機嫌なわけではないのだけれど。言葉を交わすときくらいはと彼の方へと向ける視線も曖昧で、彼の瞳は視界の中に収める程度。)友達と遊びに行くのは家に帰って着替えてからだし……買い食いって、食事する場所でもないのに買ってすぐ食べるって意味?それならしない、ベンチもそんなにないし歩きながらだと行儀悪いでしょ。……するんだ、(鉢屋は、買い食いを、と言葉を続けなくとも伝わるだろう、眉間に寄った皺は今度こそ咎めるようなものになるのか。事実はまだ答えを聞いていないためわからないが、コンビニで食べ物を買って友人と食べ歩きする様子が簡単に想像できるものだから。それが高校生らしい姿なのだと理解もできるのだけれど、祖父譲りの頑固な心では中々自分は崩すことはできなくて。だから今まで大して親しくもない男子生徒と肩を並べて帰宅したこともなければ、自転車の後ろに乗るかどうかなど尋ねられたこともない。時折車の通り過ぎる道路にこそりと視線を向け、さりげない彼の気遣いにありがたいような恥ずかしいような悔しいような、もどかしい感覚に襲われながら、自分なりの精一杯の“譲歩”を。)場所を選ぶとかそういう問題じゃな……す、素直って何!あの、…だから、私は、……。…じゃあ、その寄り道の醍醐味ってやつを、私の納得がいくように教えてくれる?(結局言い返せる言葉は見つからず、少し拗ねたように彼の言葉に乗せるよう返答するのか。―彼が言う公園は、家が近いこともあり幼いころよく遊んでいた場所だった。「知ってるけど、」それだけ答えてすぐ思考は例の任務の方向へと戻りさくさくと歩みを進めるが、入り口が見えてきたころには懐かしさから頬が緩むのだ。そういえば、ここ数年訪れていなかった。)幼稚園のころよく来てたな、ブランコ、ぎしぎし言うの。(そんな小さな昔話が零れたのも、小さなころの思い出が少しだけ蘇ったからで。) |
その分朝が早くなるだろ。市民の安全の為なら大した額じゃない。 | |
鉢屋三郎 |
(変わらず前方に固定したままの鉢屋の視線の先とは対称的な落ち着きのない視線すら、意識の外に在る様でいて、気配は頭の片隅に置いていた。経験の違いに抱く興味すら面に現さないまま、眠た気にも見える細めた瞼を上下させては、溜め息の如く白が零れる)…教本みたいな奴だな。疲れないのか、そういうの?……育ち盛りの高校生は皆晩飯まで保たないんだよ。健康な証拠だろう。(優等生の振りは得意分野でもあるが、其れを実行し続けないのは鉢屋が他人に縛られる事を極端に嫌うからだろう。真面目一徹な吉野の考えを理解出来ないではないから、其の喩えは嫌味だとかそういうニュアンスでは無く。寧ろ感心してしまうものだ。咎める様に細められた双眸へも何処吹く風と屁理屈を紡いで、反省の色なんて微塵も感じさせない程度には、説教慣れしている、なんて碌でもない対応。其れで居て吉野を微かに気に掛ける姿は、鉢屋にしては珍しく、良い奴にも厭な奴にもなり切れないでいたから―胸裏どうかしている、と嘆息したくなり乍、)…私は?ついて来たくないなら断ればいいだろ。まぁ、今更無しとは言わせないけど。(―突き放したいのか引き寄せたいのか、惑わせようと意図している心算もないが、何方と付かない言葉に続けるのは、「仰せのままに、お嬢様」、だなんて、台詞の割には軽い調子で紡ぎ出して、きっとこの状況は満更でもなくて。歩を進めるにつれ和らいでいく彼女の表情を目の端に留め乍、柵を器用に避け、自転車共、公園の中へ乗り込んでいく―)…そんなに前から傷んでるのか、アレ。どうせなら乗ってくか?落ちるかもしれないけど。(余計な一言を付けて問えば、吉野の返答も待たずにブランコへと足を向ける。ブランコの側に自転車を停めて、ひょいと柵を越えていけば、ぎし、彼女の言う通り音を鳴らして揺れる其れに足を付けて身を乗り上げるなんて、随分慣れた様子であるから、鉢屋が何度か此処で過ごしているのは伝わるだろうか。彼女が隣のブランコに乗ろうが乗るまいが、緩い調子で漕いだり漕がなかったり、不規則に揺らして―そんな中不意に、「質問」、其れだけ呟いて星が広がる空へ白を溶かす。揺れる視界で上空を捉え乍、「無いなら無いでいいけど」、続けてしまう言葉は、其れも本心。不安定に。空が揺れる―) |
早起きは三文の徳、っていうでしょ。まぁ後半も頷けるけど。 | |
吉野まな |
(落ち着きがないのは自分でもよくわかっていた。その理由が、肩を並べる彼だということも。他愛のない会話で少しずつ解けていく緊張も、解けきることはなくて。)…教本ね。疲れないのか?よく言われる、いつも答えるときに困るの。私は思ったとおり動いてるだけなんだから、…そりゃあそれなりに疲れるけど、不快な疲労ではないと思ってる。…私からすれば、鉢屋こそ疲れないの、って聞きたいけど?(吉野に対してはもちろんのこと、他の人間にもいつもどこか一歩引いているような、距離を測っているような、そんな風に感じる彼の言動。緩みきった彼など見たことがない、もしかすると特定の人物の前ではそんなことはないのかもしれないけれど。器用で、でもきっと不器用で。そんな風に感じるそれはある意味彼の自然体と呼べるのかもしれないけれど、それで片付けてしまうには少し、寂しいような気がしたから。―屁理屈には何を言っても聞かないだろうと大きなため息で返して、「お店の人に迷惑かけないようにしなさいよ」そんな学生らしかぬ言葉を零した。)誘っておいて断るわけにもいかないでしょう、…興味がないことも、ないし。もう、どうせ連れて行くならわざわざそんな言い方しなくてもいいのに。(プラスの感情とは言いがたい気持ちが渦巻いて、思わずじとりと睨みつける。軽い調子の言葉に益々その渦巻きは強くなり、ぷいと視線を外せば歩調はざくざくと早まるのだろう。―公園へとたどり着けば彼の後について、自転車のチリチリとなる音を聞きながら。その言葉に物騒なことを言うなと返そうとするが、すぐに進んで行ってしまう相手に結局は黙ってついて行き。「置かせてもらうから、」一言断りを入れ停めた彼の自転車の籠に自身の鞄を乗せれば、一足先にブランコへと足をかけた彼を追うように自分も隣のそれへ。腰掛けるとぎしりと鳴って、懐かしい気持ちに口元が僅か緩む。隣から聞こえてくるブランコの音色をBGMに、何をするでもなく懐かしむように視線を彷徨わせて。―不意に耳へと届いた彼の声に、はっとする。少しの間ではあったが任務のことなど頭になかったのだ。反射的に見上げた彼が続けた言葉を聞けば、緩んだ表情に力が込められるのか。)ある!あるから、…ちょっと待って。(手元へと視線を落としたならば、脳を必死に働かせる。聞きたいことはいくらでも溢れてくる気がした。しかしそう簡単に尋ねられるのならば苦労はしない、それに、――彼自身のことにも興味を抱き始めているのだ。任務だと理由をつけているけれどきっとそれだけではなくて。探り出すのは委員会のことだけで良いのに、彼に対する質問を探してしまう自分は、スパイ失格なのだろうか。ぼんやり、思うけれど―)……。鉢屋は、…自分のこと、どう思う?(結局浮かんだのは、そんな質問。ここからどうにか弱点を搾り出せるだろうかとか、委員会へ話を繋げようだとか、そんなことは考えていなかった。ただ気になったのだ。全く読めない彼、掴みどころのない追いつけないような彼は、彼自身のことをどう思っているのか。その答えを聞くことができれば、―少し、彼を知ることができるような気がして。) |
…既にしてる。だからやっぱり委員会を早く切り上げればいい。 | |
鉢屋三郎 |
(真っ直ぐで、割と感情的で。其の姿は自分を貫き通してこそ保たれるものだと鉢屋は思っているから、恐らく吉野に興味を惹かれる理由はそこだろう。なんて胸裏密やかに抱いて視線を伏し乍、)ポリシーが有る人間なんて今時珍しいから、皆気になるんだろう。…俺が疲れる?まさか。求められるままにお調子者を演じていればいいんだ。誰にでも出来る楽な仕事だよ。(自分でなくとも代用が利く程度の―そう振る舞い始めたのは自らだと解ってはいるが、保った距離の縮め方なんてもう忘れた。そんな考えを容易く吐露し、軽蔑される事も厭わないで―丸で、彼女を試す様に。冗談ばかりが零れていく鉢屋に対しての呆れた注意を見下ろせば、「お前は俺の母親か」、反論と言うよりは突っ込みと言った方が馴染むであろう呟きを、微かな笑みと共に口に上らせて。)誘ったから付き合うべきって?別に律儀に受け入れられなくとも気にしないけど。…まぁいいや。言い方はお互い様だろう。生憎とこれが売りなんでね。(睨め付ける彼女の視線も物ともせずに、口許だけの白々しい笑みを付けて空いた手の甲で仰いで。―昼間と違って公園は静寂に包まれていた。進む度に小さく弾ける音を響かせる自転車を停めれば、其の侭寒空の下に居座ろうなんて、本当は苦手な部類に入る行為であったけれど。引き止めたい。振り払いたい。そう浮かぶ矛盾が神経に麻痺を起こさせているのだ―なんて自らに言い訳して。和み始めた空気を崩すかの様に囁いた問い掛け。無いなら無いでいい。けれども彼女は反故にしないだろうと踏んでいた。一瞥すれば身を揺らして、通り抜ける風は外気に晒された頬を冷やしていくけれど、勢い良く上げられた声に無言の了承を返して、キィコ…、高い音を鳴らしてブランコの振れ幅を、高くしていき―、)…………。(この問いは、違う―。あの日掛けられた物とは別物だと頭では理解しながら、胸の辺りでつっかえる何かが上りかける言葉を留める。「どう?」、と反芻する事で時間を稼ぎ乍、ひゅうと零れる白は平静を保つ為に吐かれて。だから紡がれるのは、当然の様に軽く、薄い、そんな言葉)…そりゃあ、上級生をも凌ぐ才能を持った近年稀に見る天才―……なんて上辺ばかりの、得体の知れない嫌な奴、…だろ?(―だった筈なのに。次いで零れる自己評価は最後同意すら求めて。遠い周囲の評価は的を射ていると心底思う。だからこそ耳に留めても何も言わないし、感じなくなっていたのだ。はぐらかす心算ではなく本音だからこそ、胸の内を渦巻く黒は質量を増すばかりで―軋ませ乍、振り子が一際高い位置まで届いたなら、不意に手を離して身体を前に押し出して―低い柵も飛び越え、「っと。…10.0、ってね。」、だなんて難なく着地すれば、無理に離れたブランコが弛みを直し、揺れを小さくしていく。表情を窺わせない様にブランコを背後にしたまま深く息を吐き出せば、きっとその後に紡がれるのは、明日雨だから傘持ってった方がいいよ、なんて言うかの如く気軽な、其れ)―だから嫌々なら態々来なくていいよ、お前。利益になる物なんて何も教えないぞ。(今の彼女の言葉に、“やらされている”なんて思う処は、無かった。けれど、だからこそ。興味本位で近付いてくる者は牽制すれば離れていったし、自らの心の平穏の為にも、手放すなら早い方が良い―だなんて自分本位な考えで。こんなにも早く距離を取りたがるのはきっと、彼女の翳り無い言葉が及ぼす影響に、気付いているから―) |
朝強いの?意外。風紀で下校についても注意するべきかな… | |
吉野まな |
(彼は当たり前のように否定するけれど、吉野はそうは思わない。ずっと感じていた、追いつけないような感覚。彼の言葉に頷いてしまえばそれがもっと濃くなる気がしたし、そうでなくとも、“違う”と思った吉野が何も言わないはずがなかった。)…私にはそんなこと出来ないな。まぁやめろとかそういうわけじゃないし、お調子者ってのも鉢屋の一部なのかもしれないけど、…でも、「仕事」って言ってる時点で縛られてる証拠でしょ。少なくとも私はそう思うけど。(何かを諦めてしまったような口ぶりに眉を寄せる。吉野の一意見でしかないから押し付けることはしたくなかったけれど、飲み込んでしまいたくはなかった。そういう生き方をしてこなかった吉野に彼の気持ちは少しもわからないが、もっと、―少なくとも自分の前では道化を演じていてほしくはないと、彼らしくいてほしいと願う気持ちが在ることは確かで。今この瞬間の彼が彼そのものなのか、素顔を知らない吉野には確認する術はなかったけれど、少しだけでも彼らしい面を覗くことができているように感じていた。睨みつければ軽がると返してくる言葉と笑みを受ければ、「買いたくない代物ね」とため息まじりに呟いて。――足をつけたままゆらゆらと揺らす視界も、彼へと真っ直ぐ留めればその答えを待った。軋む、揺れる音だけが聞こえる。その間も見つめ続けた彼が紡いだ言葉は、寒さで冷えた身体に染みこむようで。問いかけの言葉には瞬きで返して、生まれるのは締め付けられるような気持ち。紡ぐ彼の表情は暗闇をぼんやりと照らす街灯の明かりだけでは上手く伺えなかったが、彼のその声が、ざらりとはっきり伝えてくれる。砂を滑る彼の着地音と同じような、耳に響く言葉達。視線は横から前方へと彼を追って、―かちりと、強く握った鎖が音を立てた。緩く、地面を蹴る。)…まぁね。確かに得体の知れない嫌な奴。…素顔は見せないし、何考えてるかわからないし、試すようなことしてくるし、…こうやって遠ざけようとするし。腹も、立つし。(キィ、コ、軋む音。久しぶりに漕いだブランコ、冷たい風が今の自分には少しだけ心地よくて、星空を見上げて漕ぎ続ける。中位の高さまで上がるようになったら彼の真似事、昔を思い出し座ったまま鎖を手放し身体を投げて――彼より短く軽い音を鳴らして着地すれば、軽くスカートをはたいてから柵を挟んだ先の彼に小さく肩を竦めてみせた。)多分もう気づいてると思うけど、私が鉢屋の後をつけてたのも、今日の…これも、ある理由があってしてることなの。でもね、するって決めたのは私。嫌だとしたら見切りをつけて、中途半端にならないようにとっくに止めてるもの。…私が一度決めたこと、途中で諦めると思う?(小さく首を傾げて、頬を緩め。その理由までは告げることはできないけれど、話す全ては本当。嫌々ではないこと。嫌な奴だと言ったからって、嫌いな人間にイコールで繋がるかと問われれば、吉野は首を横に振るから。―そしてくるりと彼に背中を向けたなら、柵に腰掛け視界に星空を映した。)それで、寄り道の醍醐味は?…星空とブランコ?まぁ、…わからなくもないかもね。(小さな笑い交じりに上る白。自ら進んで行うほどには柔らかくなれないけれど、こんな日も良いものだと、寄り道も必要かもしれないと思うほどには、少しずつ吉野の張った部分も解れてきているのかもしれない。どうしようもない冷たい緊張も、気がつけばすっかり星空に溶けていた。) |
色々準備があるからね。委員会や部活も取り締まるわけ? | |
鉢屋三郎 |
(否定して欲しいだとか、そんな甘えた考えを持っていたのではない。ああ告げれば、大体の確率で言い澱む相手の反応を、見透かした様に楽しんでやって、其れでオシマイ。今後一定の距離を保ったまま、―其れで不自由はなかったのだ。だと言うのに、紡がれる否定は何を想っているというのか。笑顔のポーカーフェイスは、保たれた、まま、だったけれど、)言い難い事を簡単に言ってくれるな。だけど言っただろ、“楽”だからこういう振る舞いをしてるんだ。理解者は少なくていいし、これからもこのスタンスは変わらないさ。(―剥がれ落ちていく、言葉。何て事のない様に紡がれていくのは、この時ばかりは茶化す事も無い、本音で。理解して欲しいなんて毛頭思わない。尤も気を許している友人達だって、全てを理解しているとは思っていない。けれど其れで構わなかった。其れさえも知っていて受け入れてくれる小数がいるだけで、少なくとも“鉢屋三郎”は崩れる事を知らないままで居られるから―そんな想いを、ついと零したのは、何かを期待していたのかもしれない。まだ縮め切らない距離。例の如く、肝心な数歩。其れでも離れて羨望の眼差しを送るだけなんて厭きてしまうばかりだから―。ぎちり、ぎちりと。鎖が軋んで今にも千切れそうな、錯覚。小さく燻る言い知れぬ感情さえも原因は理解出来る。肺を満たす冷たい空気は痛い位に頭を明瞭にしてくれる。―不満がある心算では、無かったというのに。自らが導いた不穏とも感じ得る空の重さが、神経を、ビリビリ、逆撫でする。其れでいて、紡がれ行く同意―否定に心底安堵するなんて。「あぁそうだろう」、深く吐き出した声は酷く落ち着いていて、其の侭、蓋をして元に戻る心算だった。また揶揄す音色で笑みを浮かべて、肯定された印象を強くすれば終いだった。―其れを遮ったのは、近付いて着地した、彼女の声。明かされる真実は解っていた事だが、其れを敢えて伝える意図が、鉢屋には理解出来なかった。思えば初めから彼女には予測を裏切られてばかりだ。捻くれた考えなんて通用しない、真摯な態度に虚像を崩してしまいそうになる。ゆたり、振り向けば此方を見据えているのだろう。確かに背中に届く声に、一度きつく目を閉じたなら)―…思わない。(丸で駄々をこねて諭される幼子の様に、小さく口の中で篭らせた声は恐らく今までで一番鉢屋らしい其れ、で。)あーあー。馬鹿だねぇ。見逃してやるって言ってるのに。俺が吉野を利用してるとか、考えないの?(次には何時もの鉢屋らしく、大袈裟に両手を挙げて嘆いて見せながら、漸く彼女に向き直って―、その頃には彼女も背を向けているのだが。そうして其れをいい事に、ゆっくりと距離を詰めれば、また彼女に背を向けて―先程と違うのは、其れが距離を取る為でなく、触れてしまう為に―彼女の背を軽く自らの背で押せば、対抗心に疼く声はきっと楽しげなもの―)この程度で終わる訳がないだろう。醍醐味ってのは、もっと特別でないと醍醐味って言わないんだよ。(抵抗されようが怒られようが、逃げられない限り無意味に体重を掛け、其れがふっと止んだかと思えば、自転車を回収して歩き始め―「こっち」、言葉足らずな誘い掛けは、彼女の声も待たずに進み始め、公園の端、フェンスの側まで来れば漸く自転車を停めた。その間に目的地を尋ねられていたとしても「いいから」、だとか「付いて来れば分かる」、なんてはぐらかしていただろうか。慣れた様子で草葉の道を進んで行けば、隅の方で、用具委員長が見たら怒りながら修復してしまいそうな、破れたフェンスが待ち構えていて。ぐぐ、と多少力を加えて飛び出したフェンスを捻じ曲げれば、人が通れるスペースを確保し、自らが通り抜けた後、「ほら早く」、手招いて彼女を促して。―フェンスの向こうにも柵はある。ギリギリまで進んだその場所には、立地条件の優れた公園ならではの、見晴らしのいい景色が広がっているのだ。星空に負けぬ輝きを灯す街並みを見下ろしながら、彼女の反応を窺えば、口許は誇らしげに弧を描き)―寄り道もせずに直帰コースだと、絶対にお目に掛かれない景色だろう?(悪戯が成功した時の様に無邪気に、自然な笑みを乗せて。此処が鉢屋の取って置きの場所の一つである事は明白だろうか。この場所に彼女を連れて来たのは気紛れではなく―街明かりに溶けた吐息は緩やかに消えて、まだ暫らくは、その場所に縋る様に、穏やかで居たかったなんて。独り善がりな考えは、淡く、淡く、仮面を溶かす―) |
何…変装、とか?対象は学園全体だもの、当然でしょ。 | |
吉野まな |
(彼と話していると、こんなにも考えの違いを思い知らされるのだ。自分とは違う人間がいる。当たり前のことがこんなにももどかしくて、複雑で、―それでも、だからこそ彼という人物に惹かれるのだろうと同時に思う。解りたいと思う気持ちと解らなくても良いと思う気持ちが渦巻いた。彼から視線を外して、溜めた息を昇らせる。)…楽かぁ。やっぱりよくわからない、楽でも、…楽しくなくちゃ意味、ないんじゃないのって思うけど、…でもそういうのって難しいなって思うし、…上手く言えないけどね。ま、私が何言ってもどうあっても鉢屋は鉢屋なんでしょ?(要するにそういうことだろうと彼を見上げて、語尾は上げたけれど返事を期待しているわけではなかった。今目の前の彼は、本当の彼なのだろうか。そう考えると少しだけ不安に襲われる吉野は、やはり自分の前では等身大の彼で居て欲しいと少しでも感じているのだろう。近づくような遠ざかるような、そんな彼を捕まえたいと思うのは、任務の責任云々は関係なく吉野自身の想いで。――同意を返したけれど、彼の紡ぐ意味とは少しだけ違っていることを付け足さずに、胸の内に閉じ込めたまま吉野は鎖を手放した。その背中に向けて語る真実はきっと彼にとっては今更のものだろうが、しかし吉野の中では伝えることに意味はあったはず―正面から彼にぶつかるのだと、宣言したつもりだ。問いかけへの彼の返答ははっきりとした声では響かなかったけれど、透き通った空気の中しっかりと吉野へ届いた。いつもの余裕ぶったそれではない、子供のような、音色。何故だかそれに嬉しくなって、くすりと笑ってしまった声は、彼まで届いたかはわからなかったが。)…、利用してるの?そういう可能性もあるか…でもまぁその時はその時だし、だからって諦めるつもり、ないもの。…何度も言わせないでよね。(小さく笑って、肩を竦める。星空へと溶けていく白を見つめながら足を伸ばして。―背中に感じた重みに一度大きく瞬くけれど、「重い、」と告げた文句に嫌悪の色は見えず、少しだけ高鳴った心音を押し込めて負けじと少し背中を彼へと傾けた。ふぅん。緩めた口元から相槌を返したと同時に消えた重みに反射的に振り向くと、ついて来いと言う彼。どこへ行くのかと尋ねながら後を追うが確りとした答えは得られずに――幼稚園や小学生のころすらこんな場所は潜り抜けなかっただろう、彼の作り出した通り道に僅か眉を寄せながらもそれをくぐって、ただ彼の背中を追った。辿りついたその先――足が止まるどころか思わず僅か走り出してしまうほどの、闇と光。吸い込まれそうな街並み。まるで一面足元まで星空が続いているような錯覚に、惹きつけられるまま視線を彷徨わせて、)……うん。確かに、寄り道もしたくなるかも。(正直にそう思う。言い終えて視線を向けた先の彼の無邪気な笑みに、また、更に。つられるように頬が緩まるのは星空の魔法か。再び瞳に映した街並みは、もっともっと幸せなものに思えて、)―…教えてくれてありがとう。(知らないことを、たくさんくれる彼。その隣で眺める光たちは、寒さなど忘れてしまうほどに本当に綺麗に輝いて。――今だけは、任務のことなど忘れてしまおう。純粋に彼とのこの時間を大事にしたい――そう願う感情は、とても自然に心の中へと降りてきた。) |
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