綻 び は 突 然 に



Saburo Hachiya & Mana Yoshino



(フェンス越しにグラウンドが広がる中、隅のベンチで休息を)

鉢屋三郎(寒い時期は室内に篭るに限る。寒さを極端に嫌う鉢屋としては、この時期は何処かで時間を潰すよりも暖房がかけられた室内で授業を受けていた方がマシ―だとは思い乍も、どうしようもなく気が向かない日は存在してしまうもの。狭い場所に押し込められてお行儀良く座り続ける其の行為が、鉢屋は未だに苦手だった。其れに幾ら暖かろうと、締め切った室内に篭った空気は直ぐに息苦しさを纏い、反して空気の入れ替え等何度も行われるものではない。寒いのは皆同じ―当然と言えば当然だが、其の為休み時間に教室の外へ足を向ける鉢屋は珍しい物ではなかった。)寒い。頭痛い…。(―そんなぼやきも忘れずに。心配そうな友人達の声に軽く手を振って、そうやって我侭に、冷たい風の鳴る校舎の外へ踏み出せば、のろたらと奔放な足取りで砂を鳴らす。共通の時間割なのだろう次のLHR前で、教室の側を離れれば人気なんてものは疎ら。教室へ向かう教師とでも擦れ違わなければ、大体は何処へでも行けそうな気配だったから、此れからサボりだと言うのに鉢屋の歩は堂々とした様子で進む。友人を真似てふわふわと見せかけた髪を柔らかに揺らした風。遮る為に校舎の影へと身を移せば、グラウンド側のベンチへと腰掛けるのか。今日の風向きでは、この場所で風は無い。頭を冷やすには外の方が良い、なんて保健室へ行くという選択肢は初めから除外した上でベンチへ寝転がれば、「コート…」、持って来れば良かったと、今更ながらに呟いて。本格的に冷えて来れば中に避難すれば良いだろうと身を丸めれば、狭いベンチから収まりきらない足をはみ出したまま、自らの腕を枕に横を向いて目を閉じて。―冷たい寒い心地良い。様々な感情を渦巻かせながら、塞ぎこんだ闇の中では聴覚は殊更クリアなものだろう。風の音、木葉の音、砂の音も、沈まない意識の前では良く響くから―人の気配に気付いても其の眸は伏したまま、浅い呼吸を繰り返して―)



…こんなところで寝るなんて一年生でもしないでしょ。

吉野まな(悪いが頼まれてくれないか?と申し訳なさそうな笑みと共に差し出されたストップウォッチを二つ返事で了承し受け取る。倉庫へ返したいのだが、今からLHR前のちょっとした打ち合わせがあるのだということで。頼まれ事は嫌じゃない、頼られるのは素直に嬉しいから。一時間目にも顔を合わせた土井からの礼の言葉を受け取りながら歩く廊下、まだLHRまで時間はあるはずだから、今体育倉庫へ行ってしまおう。そう考えれば自然と速まる歩調。しかしそれが止まったのは、廊下途中の窓から見えるその風景のせいで。寒空の下、コートも羽織らずベンチに横たわる姿はどこか見慣れた風貌。すぐに視線を横へと向ければ彼の教室、ろ組の前で同じ顔をした男がクラスメイトとの談笑に花を咲かせていた。表情で察する、そして、あんなところで寝転ぶとしたらやはり、彼は彼でしかないだろうという確信。自然と足は自分の教室へと進む。―寒いから、マフラーを取りに教室へ戻る、そのついでだ。それに、あそこは倉庫のすぐ近くだから。誰にも聞かせることのない言い訳を頭の中で呟きながら自席に向かうとブレザーの上からマフラーを巻きつけ、キャメルのダッフルコートとストップウォッチを掴んでまた廊下へ飛び出した。速足で階段を駆け下りローファーへと履き替えたなら真っ直ぐ向かうは外に設置されている体育倉庫、そこで目的を果たせばお次は彼の横たわるベンチだ。寒そうに蹲る姿に吐いた呆れたようなため息は白く上って、)…ばか、(そう小さく零して手にしていたコートをその上半身へと被せる。保健委員長ではないが、この時期こんな格好でこんなところにいては体調を崩すに決まっているだろう。考えなしなのか、面倒くさがりなのか――そんなことを考えながらぼんやりその姿を眺めていたが、すぐに目を覚まさない彼を見て、思う――これは、絶好のチャンスではないだろうか?と。じっと見つめる、伏せられた瞼。――素顔を。それがわからずとも、彼のこと、少しでも何か掴めるかもしれない。それはスパイ活動からの義務か、それとも吉野自身の興味か、自分でも曖昧で。しゃがんで彼の顔を覗きこめば、彼との近さに、そしてその行動の重さに今まで以上の鼓動で心臓が高鳴るけれど、押し込めて意を決したなら恐る恐る手を伸ばした。――すぐに聞こえてくるだろう放送にびくりと肩が跳ね上がり、その冷たい指先が彼の頬を掠めるか、掠めないか。彼が瞼を持ち上げるか、どうか。まだ、わからないけれど。)



(学園長の、ありがたーくない放送)

ザ――…

(小さくノイズが聞こえたかと思えば、言い争っているのだろう声は、殊更大きく響いた)

何じゃ!スパイ活動くらいどの委員会もみんなやっておるじゃろ!

(驚く顧問達の声は誰が聞いても肯定であっただろう)
(そして駆け付けた放送を知らせる声によって、乱暴に放送の電源は切られた――)

…ブッ――



…五年生だから何でも有りなんだよ。風はないから少しなら平気だ

鉢屋三郎(寝そべったばかり。まだ寒くない。寒い気はするが、其れよりも澄んだ冷気が心地良い。頭痛と吐き気はこの時期特有の暖房に依る処が大きいから、解決策としての正反対のこの場所は、少し位なら耐えるに易い―どうせ意識を手離すには不調が邪魔をしてくれるのだし。浅く繰り返す呼吸の中、歩み寄る足音に見知った相手の顔を思い浮かべ乍、小さな呟きに胸裏こんな所まで来る吉野こそ、と呟き返して眠った振りを続けよう。掛けられたコートには体が正直に安堵したけれど、吐息だけを揺らして小さく身を捩れば、其れこそ寝惚けているかの様な演出。直ぐ側で止まり続ける気配へ神経を集中させ乍、―触れられてしまっても、良い様に思えた。けれど。弾かれる様に引かれた手は、其の温度を鉢屋に伝える事は無くて。耳慣れた声が届くよりも先に、攻め立てる声が告げる学級委員長委員会の行動―幼い後輩の姿を思い返し、記憶の中で呼び起こされる、調査相手の事を楽しそうに話す彼女の笑顔を思えば、熟せていない仕事を攻め立てられた所で如何と言った打撃を受ける筈も無い―が、後輩にとっては如何か知れない。なんて、他人の心配をしている一瞬の余裕は、次がれる言葉が察せていただけに―フィルター掛かった声。短い遣り取りは――知る事の無い様に目を逸らしていた真実を、此方の意思もお構い無しに突き付けてくれるのか。あの日交わした言葉が過ぎる。予想はしていただけに、驚きはしないけれど。“理由”が無くなったのだと痛感して、零れ落ちた、重い白い吐息。此の侭狸寝入りを続けてしまっても良かったが、其れでもそうしなかったのは―)まぁ、この時期に弱みを握ろうなんて、何の為か絞られて当然だったけど。(ゆったりと睫を上向けて身を起こせば、眠た気な双眸が吉野を見上げる。ほんの少し前までは互いに詳しく知ろうともしていなかった筈だというのに、今ではつらりと特徴が、動作が、性格が―挙げられる様になってしまっていただなんて。そう長い時間共に居た訳でもなかったのに。だから、彼女の気持ちが知りたくて―掛けられていたコートを軽く畳み乍、見上げる眸は揺るがない。)―吉野が此処へ来た理由も、スパイの仕事の為か?…其れだけ?(何時もの軽い調子で尋ねようとしていたのに、思ったよりも真剣味を帯びて低く響く。探る様子ではなくじいっと彼女の言葉を待って、無意識に、伸びた手。触れるよりも長い距離―数センチが縮められずに、きゅっと指先を握り込めば、―吉野と鉢屋の間を、コートが舞う。ばさり、彼女に投げ返したなら、反論が来ようと何てことない様子で立ち上がって、)今まで中々楽しませてもらったよ。一応、良く出来ましたってとこ?(ぱんぱん、と制服を叩き乍、吉野の方は全く見ようともせずに。軽い調子は、先程の問い掛けとは矛盾した、距離。「お疲れ」、最後の一言を優しく落として、不意を付いて彼女の頭をぽんと撫でれば、其れ以降口を開く事もなく、砂を鳴らしてゆっくりその場を離れよう―、嗚呼、頭が痛い。吐き気がする。彼女の声も届かぬ意識で、肝心な後一歩を立ち止まって―今は何処か静かな場所で、沈む様に眠ってしまいたかった)



…どんな理屈。そういう問題じゃないでしょ、心配させないでよ。

吉野まな(あとほんの少しで、手が届いたのかもしれない。切り裂くようなノイズ音。思わず立ち上がり振り向くと、校外へ流すよう設置されたスピーカーが振るわせた空気に、体中が寒気に襲われるような感覚。聞こえた彼の声に、更に重い何かが胸を覆う。――事実が知られたことが恐ろしいのではない。知られたことによって、崩れるだろう彼との関係や距離が、何よりも怖い。見上げてくる彼の瞳にゆっくりと視線を合わせて、閉じることを忘れた唇の僅かな隙間から零れる吐息は震えていた。知られては、スパイとは呼べないだろう。神経質な斜堂のことだ、このまま続行など考えられない。―過ぎったものは否定できなくて、せめて彼が目を覚まさなければ良かったのかもしれないと、視線を逸らし、伏せた瞼。――彼の質問の答えなど、きっとあの日の夜からもう生まれていたのだ。それでも、上手く形になって出て来てはくれない。ただ、白だけが生まれては消え、生まれては消え―)…それだけじゃ、(続く否定は音にならずに掠れて消えた。初めて感じる感情が重く圧し掛かり暗く塗りつぶしてくる。謝罪でもなければ、言い訳でもない。何といえば、上手く表現できるのだろう。知らない言葉の切っ先を探して何かを言いかけても、言葉にならずに消えていく。彼の伸びた手も知らずに、――舞った、キャメルの色がちかりと瞳を揺らした。飛んできたそれを両手で受け止めて、)な…!(反論しかけるけれど、彼の声とそれが告げる内容にすぐさま引っ込んだ。軽い調子の音色が重い気持ちを益々酷いものにさせる。彼を目で追っても、決して合うことのない視線。「なに、それ…」呟くように彼に向けた言葉はもちろん明るい色など含んでいなかった。彼に言い返したくて、言いたいことはたくさんあって、けれども何と言えばいいかわからないなんて、なんて情けないのだろう。それでも彼はすぐさま去ってしまいそうだったから引き止めたくて地面を蹴り掛けたけれど、彼の手のひらが頭に触れると、それだけで動けなくなってしまう。悲鳴をあげるように、鼻の奥がツンと、泣く。駄目だと奥歯を噛み締めたなら彼の遠ざかる足音が響いて数秒、涙が滲む前に振り向いて、今度こそ地面を蹴った。その背中を追いかけて、待って、と一言だけ、それだけでよかったのだ。―口を開いた瞬間、言葉が飛び出す前に鳴り響いたチャイムに、速足で彼を追っていた身体が止まった。感情的になっていたものは決して冷めはしないけれど、タイミングを失った言葉は溜めた息に変わる他なくて。―ただ、一言だけ、留められなかった小さな声で、響き渡る鐘の音の後に、一言だけ―)…何で勝手に終わらせようとするの、(弱く、けれど縋るようなその声が彼の背中に届いたかどうかはわからなかったけれど、それ以上口を開けば涙で滲んでしまう気がして。彼の反応も伺わず堪えるように唇を一文字に結んだなら、コートを両手で抱えてそのまま校舎へと必死に足を動かした。何と言えばよかったのか、どうすればよかったのか――渦巻くばかりで、答えが少しも見つからなくて。)


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