(熱が弾け終えた宵時に。震える様に揺れるのは桜と、髪先と、)
(ひやりと頬を撫ぜる風を、花見をする季節であるというのに少し寒く感じるのは、先程までのお祭り騒ぎの所為だろうか。相変わらず、そこまで輪の中心で盛り上げるというでもなく、かと言って人を煽って盛り上げるというわけでも無く、一部では本当に綾部は楽しんでいるのだろうかと疑問の声が上がりかねないテンションでレジャーシートの端っこで黙々と好きな食べ物を消費していた。時たま友人にちょっかいを出しては楽しんでいたというそれだけで、綾部なりに充実した時間を過ごしていたことが伝わる相手は一体何人だったのだろうか。――そんな時間は、早く過ぎる。日が高くなり始まって暫くしてから集合したから余計に、宵が来るのが早く感じたのだろうか。風を受けて揺れる癖っ毛の先が首元を擽るのが心地悪くて、定期的に首元を気持ち悪そうに撫ぜる、その瞳は普段よりも少しぼんやりと、疲労が滲んで。ちょっとはしゃぎ過ぎた、気がする。―それでも、宴中全く微動だにしなかったレジャーシートの上から腰をあげて、桜と桜の間を歩む。白いシャツにブルーのギンガムチェックの厚手のシャツ重ね、スキニーパンツごとエンジニアブーツをはいただけの、アクセサリー類の無いシンプルな服装は人ごみに紛れれば目立つ事もなく溶け込んだ。そうしてぐるりと一周屋台を一回りした後にようやく再び学園の生徒達のレジャーシートの傍へと戻ってくれば、とある桜の木の一つに背中を預けて、携帯を取り出す。バックライトが眩し過ぎて一瞬目を細めてから、受信フォルダから引き出した名前に対してメールを送信する。宛先は千曲若葉。件名に「うしろ。」とだけ書かれた本文の無いメールを送信し終えたなら、屋台で購入したベビーカステラを一つ頬張る。んまんま、とほっぺたいっぱいにしながら、桜の木を挟んでの向こう側―真っ直ぐに、直線上。桜の花びらがひらり、落ちてくるのを目で追いながら、カチリパチリ手持無沙汰な片手で携帯を閉じたり、開いたり―。)
やっぱり夜はすごく雰囲気変わりますね!じーんてしちゃいます!
(昼間の淡く穏やかなブルーと桃色。夕暮れ時の紅とオレンジに染まる鮮やかな桃色。そして、宵の影を落としながらライトアップで灯し出された幻想的な桃色――どれも確かに違うのに、それぞれの美しさで楽しませてくれて。それがクラスメイトや先輩後輩達と眺められるものであれば、瞳に映る輝きはひとしおで。精一杯友達と騒いで、お腹も心も満腹感でいっぱいだと感じるままにぽんやりはらりひらり舞い散る桜の花びらを視線で追いかけていた。)きれーだねー…、(本日何度目か分からない間の抜けた呟きで共にいたクラスメイトに同意を求めれば、そんな折ふとデニムのポケットで震えた携帯電話。振動の短さからメールの受信を告げるそれをいそいそと確認してみれば、送信者の名前を見て、ぴこり、ビックリマークを輝かせてきょろきょろ左右を見渡してから、本文に目を通して――)うしろ…?(きょとりと導かれるままに振り返っても、視線に移るのは大きな桜の木―ゆらりと端っこがはみ出した相手に、ワンテンポ遅れて気付けば、分かりやすく表情を明るくするのはパブロフの犬と呼べただろうか。「ごめんね、ちょっと行ってくる!」なんて、白いカーディガンの裾を翻して、赤いミュールを突っ掛けて駆ければ、距離を縮めるのはあっという間で――「あやべ先輩!」ひょっこりと顔を覗かせて、緩んだ笑みを向ければ、緩く編んだ二つのおさげ髪がゆらりと揺れる。たった三文字のメールすら嬉しくて、姿を見ただけでどきどきして、ふにゃりと頬を溶けさせて、視界に捉えた彼が頬張るベビーカステラに気付けば、胸にそっと安堵感が広がって、)あ、それ。屋台で買ってきたんですか?へへ、あやべ先輩も楽しんでるみたいで良かった!あ、私もさっき出店回って、たこ焼きひとつおまけしてもらっちゃいました!…あやべ先輩は――(くるりと身体を反転させて、彼の隣で、彼に倣うように木に背を預けて、そんな風に他愛ない会話がひとつ、ふたつ。今日も絶え間なく零れては、静かに夜に溶けていく。穏やかに地面に白く積もっていく花びらに満たされるみたいに、ただ彼の隣にいられることが幸せで、幸せで。ねえあやべ先輩、来年は二人で一緒に見にきましょうね!なんて、誘ってみれば彼はどんな顔をするのだろうか―胸の内でこっそりとそんな提案を練って、想像に目尻を下げながら、きっと告げられるのも時間の問題。いつまでもいつまでも、この時間が続けばいいのに、と、ささやかな願いはじんわりと胸に熱を溶かした――)