( 田村三木ヱ門
(――予算会議前の会計委員会は地獄だ。何気なく目をやった後輩の姿を見れば感慨に浸りたくもなる。根を詰め過ぎても良くないと珍しく取り止めになった帳簿計算の続きは思っていた以上に気を楽にしてくれたけれど、それにしたってこの惨状は――今日は働かなくていいなんて考えに至ったのか、取り止めを告げられて直ぐに「寝る!」と宣言した後輩は連日の疲れが溜まっていたのか、何故か会議机の上でコートを被って真っ直ぐにのびて―これも方向音痴の一種なのだろうか―夢の中。そのクラスメイトの後輩も額にくっきりと鉛筆の跡を残しているし、言い争いが絶えなかった筈の一年生は奇妙な連帯感で仲良く騒ぎ出している――彼自身も、体が疲れを訴えている事は理解していた。先輩達も大袈裟に嘆かないけれど流石に疲れているのだろう。把握している仕事量は彼よりも多い。――小さく息を吐けば、立ち上がってそれぞれの顔を見渡し、)
飲み物買ってきますけど、何がいいですか?ほら、お前らも。
(寝ている後輩は無視して、何か暖かいものでも差し入れるつもりで、問えば「はいはい!田村先輩の奢りですかー?」とランナーズハイの如く勢い付きの調子に乗った質問が返ってきて、呆れたように頷くのだけれど――先輩の対応を待って、会議室を抜けるつもりで「どうします?」と改めて問い掛けた)

梢子ちゃん、おでこおでこ!努力の勲章だけど、ちゃんと拭こうね
( 夙川希咲
(其れまでどれだけ数字が好きだったとしても、会計委員になったら数字とのお付き合いはお友達未満が一番心地よくて親しくするのはご遠慮したいと感じるようになってしまうのではないだろうか。夙川も数学と言う分野は嫌いではなく、単純な四則計算等は寧ろ好む部類であった筈なのだが、今年初めて所属する事になった会計委員――其れは噂に聞いて居たよりもずっと過酷な委員会だった。普段は厳しい先輩の元、眠たいと感じる程度まで計算を続けて居れば良いと言うだけなのだが、前期の予算会議前に経験したピークである過密過度スケジュールは、後期の予算会議前である今、同じように繰り返されて居る。詰り今とても忙しい。食事をする時間が無いと迄は行かなくとも連日の仕事の所為で食事が喉を通り辛いのは事実。最近やつれた?と友人に問われる回数も少し増えてきた。其の度に会計委員の平和さを切々と説かなければならないのは多少手間であったりするのだが。死屍累々と称するのが正しく一致する会計室の中を、跳ねた前髪を整えながら見回せば、実に個性的にバテている後輩達の姿が目に留まる。確か倒れ込む前に「神崎くん、寝る時はせめてソファに…」と声を掛けた筈なのだが、伝わらず伸びている彼を起こしてソファに連れて行くだけの気力が夙川にも残って居らず、楽しげに声を弾ませて居る1年生でほんやりと和み乍、そうっと目を閉じれば再びボールペンの芯を出し紙と向き合う。―カタリ、と空気を揺らがせた田村に声を掛けられれば視線を上げて。間髪いれずに奢りを請求する後輩と、其れを渋々ながらも了承する彼の姿には、思わず朗らかな笑みが浮かんでしまう。確認を取るよう再び向けられた言葉には首を傾げ、)じゃあ、暖かいお茶を…って、田村くん一人で持てそうかな?私も付いて行くよー。(奢りと聞いて爛々と目を輝かせた1年生の姿に眉尻を下げた笑みを浮かべ、了承を取るように先輩の方を振り返ってから席を立とうか。最近少し余裕の出てきたカーディガンの前を整え直せば、田村と共に会計室を抜けようと。気心の知れた後輩と会計委員に関する事柄をぽつぽつと零しながら自販機へと向かう。恐らく暖かい飲み物を今か今かと待って居るだろう後輩を待たせぬ様少し足早に―。―抜けて居た会計室に戻れば平時のカリカリやぱちぱちという音しかしない会計室と違い些か賑やか過ぎる程の室内についつい笑みを零して仕舞い乍、再び帳簿と向き合おうか。朗らかとは言い難いが仲の良い委員の様子に、しばしば手を止めて笑い声を零して仕舞うのは、今日だけは許されるだろうか―)

ほら、顔洗って目を覚ましてこい。寝惚けたままで帰れんだろう。
( 潮江文次郎
(会計帳簿の計算、配分予定、調整――会計委員会である以上、どうしても越えなければいけない山場であったと言えるだろうか。出来る限り負担を減らすべく日々作業を進めてはいるが、予算案が挙がってくるこの時期になって途端に仕事量が増えると言う現実は、事前準備で乗り切れるものではない。皆の集中力が切れていることに気付き、これ以上続けることは無謀だと判断すれば、中断を告げ眉を寄せる。どうにも自身のペースを周りに求め過ぎる所があるのは自覚していたけど、それでも作業の進みが思わしくない現状では求めざるを得ないとも言えて。各々の疲労感を目の当たりにしながら、ペンを置くタイミングを取れずにもう一区切りと進めていれば、カタンと椅子のずれる音を聞けば視線を上げて―本当に、この後輩には甘えてばかりだと思うのだけど、それに付き添うと更に後を追う後輩も同じか。極限状態にも近い中で、上級生の頼もしさは他の追随を許さないだろうなんて誇らしげに抱いたそれに気を緩めつつ、普段より目元の隈を色濃くした目で申し訳なさそうに見つめれば、)ああ、すまんな、田村、夙川。お前達も疲れているだろうに。助かるよ。(金は後輩達の分も後で持たせようと思いつつ、潮江先輩は?と注文を問われれば、「ホットのコーヒーを。無糖で、」と、減った口数のまま簡略に答えれば、相変わらずのハイ状態が続いているのか、「じゃあ俺後藤さんで!」なんて顧問さながらの親父ギャグ―本気で分かっていないのかもしれないけど―が聞こえて来て、とりあえず手を払って買い出し班の後輩二人を送り出そうか。)―お前らはもう少し静かにせんか。はしゃぎ過ぎると余計に疲れるぞ。それに神埼も寝てるんだ、気を遣ってやれ。(―起きないだろうけど。と、内心思ったことは伏せたまま、ふぁーいと間延びの塊でしかない返答に手を伸ばせば、労うように乱暴に頭を掻き混ぜてやろうか。休憩とはいえまだ落ち着かずに、せめて二人が戻ってくるまでの間にと作業に戻ったなら、いつの間にやら騒いでいた後輩達がこちらを見ていたりして、手を止めることになってしまうのか。休む時はちゃんと休まなければとか、だから潮江先輩は隈がなくならないんだとか、珍しく尤もらしい説教を後輩から聞けば余計な世話だと怒鳴り付けて―その後に笑みが浮かんでしまうのは、良い意味で気が抜けてしまうからに他ならないだろうか。騒がしく笑い声の響く中、後輩達が戻って来れば皆で「おかえり、」と迎え入れて――暖かい飲み物を片手に、早く作業を片してしまうべく手を進めて―予算会議での圧倒的勝利を目指して決意を新たにするのは、潮江の負けず嫌いは勿論のこと、後輩達の苦労への感謝も含まれているのかもしれないなんて、誰も知るところではないだろうけど――。)