綻 び は 突 然 に



Takiyashamaru Taira & Chisato Umemiya



(五年の教室前廊下、見つけた姿に思わず駆け寄って―)

平滝夜叉丸(授業を終え一番に向かったのは六年の教室。何故かって、滝夜叉丸の所属する体育委員会の委員長から授業中にも関わらず携帯メールで呼び出されたからである。放課後皆で縄跳びするから、最後の授業が終わったら縄を持ってグラウンドの場所取りしておいてくれ。その言葉と共に渡された体育倉庫の鍵。彼のクラスの六時間目は少し延びそうだということで、すぐに始められるように後輩に頼むことを決めたらしい。そういうわけで今、滝夜叉丸は自身の教室へ戻るため階段を下っていた。早いところ寒い廊下から教室へ戻りたいと速まる歩調―しかし四年と六年の教室への道のり、五年の廊下でふと歩みが緩まる。―彼女はいるだろうか、と、自然と目で追ってしまうようになったのは彼女と接触した初期のころからずっとだけれど、その理由が少しずつ変わってきていることを滝夜叉丸は意識してはいなかった。―その小さな人ごみの中から簡単に彼女を見つけ出すと、緩んだ口元を引き締めることもせずに足早に其方へと向かって、)―千里さん!(きらり、自身の中でそんな効果音を生み出しながら歯を見せて微笑みかけたならいつものようにさらりと前髪をかきあげた。周りの反応など気にせず今はただ彼女へと視線を向けて、右手人差し指を鍵をまとめたわっかに差し入れそれをくるくると回しながら、流暢に語りだす―)あぁ今日も素敵ですね千里さん、無論私も今日のセットはバッチリです昨日のトリートメントもじっくりじんわりと染みこませましたからドライヤーをかける際自分でもうっとりしてしまうほどでしたよ。前の時間は土井先生の授業だったのですが、その髪と比べると更にやはり私の髪は美しいのだなと実感してしまいますねぇええほんとうに!そういえば千里さんは何の授業だったのですか?(どんどん進めていく話題とそれに沿って変えていくポーズはすっかり身体に染み付いて。何度話したかわからない自身の美容と髪について語り終え、つい先ほどまで行われていたのだろう授業について問うたのは単純に疑問に思ったから、特別その答えを求めているわけではなかったけれど―)



あれ、珍しいね、此処まで来るの。…また体育関係?

梅宮千里(私は寝てない私は寝てない私は寝てない、呪文のように繰り返しながらその実それは寝言にしか過ぎず、鐘が鳴ってから漸く梅宮は覚醒した。昼休みにうっかり昼寝をせずに猫と戯れてしまったのがいけなかったらしい。丸一時間寝過ごしたようである。隣の席の友人なんて慣れたもので、何も言わずにノートを差し出してくれるので梅宮は礼にと一握り飴玉を渡しながらそれを受け取る。次の授業なんだっけ、と寝起きのまだ良く回らない頭で序に友人に尋ねれば、LHRだと告げられる。そうだっけ、なんて首を傾げながらとろとろと教室まで戻ろうと。教室移動があることすら忘れていた、なんてあくびをかみ殺した所で呼ばれた名前。びくっと肩を揺らすのは、先程のお咎めかと一瞬身構えたからで、きょろりと辺りを見回し彼の姿を認識すれば、安堵したように笑んでから彼の方に足を向けて。周りの同情したような、なんとも言いがたい視線には全く気付かずに。珍しく今日は制服の上にジャージは着ていないからか、廊下は酷く冷える。その寒い廊下を、五年の廊下前。しかも現在通行人はほぼは組。体育委員会居たっけと考えたのだが、それでは自分の呼ばれた理由がわからない。用件はなんだろうと考えるも特に思いつかず、聞いてみようかみまいか、それよりも彼の口が開く方が早くて。彼が髪の話を始めれば、そういえば寝癖付いてないかな、とちょいと頭を触ってみて確認するのか。多少跳ねていた所で気にしないのだろうが)土井先生は確かに委員会中斉藤さんに怒鳴られてるしねぇ…四年生が土井先生の授業だったんだ。あー、道理で…(起こされない筈だというのは委員会顧問の場合容赦なくチョークが飛んできて居眠りは出来ないから。とは言っても彼の授業で寝た事は梅宮は無いのだが。四年生に居たのならば自分のクラスは違ったのだろうと既にさっきの授業が何かすら思い出せない―なぜ今廊下に居るのかも恐らく理由はわかってない―梅宮は納得したように頷いて)え?えーっと……数学…か、英語?(頑張って起きていた授業開始五分。数字も英字も出てきた気がするのだが何の教科かは覚えていない。時間割も覚えていないのだから把握しようがないのだ。何だっけ、と手近なクラスメートに聞いてみるのは寝過ごし、かつノートの確認をしていないから。手短に化学と返ってくれば頷いて「化学だって」と返答をするのだろう。どうやらこの間の補習は全く堪えていない様だ)



(学園長の、ありがたーくない放送)

ザ――…

(小さくノイズが聞こえたかと思えば、言い争っているのだろう声は、殊更大きく響いた)

何じゃ!スパイ活動くらいどの委員会もみんなやっておるじゃろ!

(驚く顧問達の声は誰が聞いても肯定であっただろう)
(そして駆け付けた放送を知らせる声によって、乱暴に放送の電源は切られた――)

…ブッ――



そうです…あぁ、この滝夜叉丸をパシリのように使うなんて!

平滝夜叉丸(彼女に話しかけたからといって、彼女に用があるわけではない。ただその姿を見つけて声をかけた、それだけ。自分の話をするために他人に話しかけることなど頻繁にしている滝夜叉丸だけれど、最初からきらきらと自身を輝かせ嬉しそうに話しかける姿は誰にでも向けるわけではなくて、だからこそ周りは彼女が滝夜叉丸に気に入られた可哀想な人なのだろうと同情の視線を送るのだろう。彼女が髪を気にした様子を見せたなら、「あぁ大丈夫今日も私同様素敵ですよ!」何て二度目の言葉をかけるのか。)タカ丸さんの気持ちも解りますよ、あの先生は私には及ばないにしてもそこそこの顔立ちをしてらっしゃいますし、私には及ばないにしてもそこそこの人気がありますから、髪の毛もしっかり手入れしていれば、私には及ばないにしても周りから認められ独身独身と言われなくなるでしょうにねぇ。そういえば土井先生は千里さんの所属する、そんなことでいいんかい火薬委員の顧問でもありましたよね。(だからなんだと言うわけでもないが、彼女の顧問と考えると少しだけ彼への認識が変わるのだ。勝手に脳内で彼と自分を比べ当然のように己が勝利したなら、それならば安全だと勝手に終結し勝手に安堵した。質問にすぐには返ってこない答え、どうやら彼女は授業中寝ていたのだと推測することができ、それすらも微笑ましいと頬を緩める。)ということは今は化学室からの帰りということですね、何と運の良いことでしょう!たまたま七松小平太先輩の我侭から呼び出されたこの滝夜叉丸がたまたま通りかかった五年の廊下でたまたま化学室からの帰り道だった千里さんが出くわすなん、て…(くるくるくるかちゃり、未だに人差し指で鍵束は回され続けていて、突然聞こえたノイズに言葉を止めた滝夜叉丸からはちゃりちゃりとした音しか発されず。響き渡るは聞きなれたこの学園の長の声。続いて乱暴に切られた電源にぱちくりと目を瞬かせるも、すぐに調子を戻して笑って、)いやーなんでしょうねぇ物騒な!スパイ活動とか言ってましたけどそんなもの我が体育委員会は…体育委員会は……やって、いるのかな。そういえば夏帆先輩が最近よく厚着先生に呼び出されているが…立花仙蔵先輩とも急接近したようだし……となると…(かちゃり、円を描くのを止めた鍵束が音を立てて沈むように手のひらへとぶつかる。滝夜叉丸とて成績優秀を誇る男だ、頭の回転も悪いほうではない。思い出すのは彼女と出会ったばかりのとき、その手にしていたメモ帳――そして数々の質問。今まで自分のことを好いているからだと信じて疑いもしなかった滝夜叉丸だったが、あんな放送を聞かされては不安にもなる、なぜって先ほど話題にも上った、彼女の所属する委員会顧問の土井の驚愕の声も僅かに聞こえてきたからだ。僅か考え込んだ後彼女に視線を戻したなら、そんなことあるわけないだろうとでも言うように笑って、問うた。)ま、っさか千里さんはしていませんよねぇ!スパイ活動なんて?そんなもの、するわけないですよねぇ!あっはっは!(笑い飛ばしてしまいたかった不安は、まだもやもやと心の中に潜んでいたが――)



それだけ滝君が頼れるって事だよ〜。私なんか戦力外告知だもん

梅宮千里(どうやら寝癖や級友の悪戯―たまに頭にリボンが結んであったりしている―も無い様である。何で皆そんな早足で教室に戻るのかな、と教室に戻るのは早い方がとは思わない梅宮はクラスメートの背を見送りながら)土井先生が独身の理由って髪の毛なんだ?ほへー…今度教えてあげよう。独身なのは疑問に思ってたんだけどねぇ、そんな理由が…!うん?うん、土井先生は火薬委員の顧問デス。昔からお世話になったなぁ…(しみじみと言うのは恐らくそのお世話の裏にある迷惑と言葉の重みを流石に自覚しているからか。一年は組を見ていると昔の自分を見ているようだと思う梅宮、呟いた其れは否定されなかった事から四年前もトラブルメーカーだった事が伺えて。私には及ばないにしろ、の言葉に学園一という言葉に教員が含まれていた事を知り、その中でそこそこと言うのならやっぱり顧問は凄いんだな、と頷くのか。)そーそー、残念ながら私は化学は向いてないみたいなんだけどね…何処の棚に入っている薬品か、とかなら答えられるのに(勿論化学のテストにそんなことは出ないのだが。わからない時はどの棚の上から何段右に何個、なんて解答欄に出して提出した事もあるくらい、「化学室」に付いてであれば詳しいのだけど)七松先輩の我侭かぁ…あの人はいつも元気だねぇ。そだね、普段私廊下出ないもんね(理由は言わずもがな、寒いからである。窓際の席に甘んじているのはヒーターの風が当たるからと言う理由それだけで、寒がりは寒がりである。Yシャツの下にTシャツ、カーディガンの上にジャージ、時折半纏を着込む梅宮の防寒率に関してはそれ自体が教室内での気温の目安となっているくらいであって。ざざ、と予告のチャイムも無しに放送が入れば、思わずスピーカーを探して。次の瞬間聞こえた学園長の大声に、聞きなれた教師陣の驚愕の音声。自分の委員会の事がどうやら学園長に知れたことも驚きであるがそれよりも、スパイ活動なんてやっているのは弱小の自委員会位であろうと思っていただけに―)どの委員会も…?え、すると…(思い浮かんだのが生物や学級委員長委員会等五年生が中心の委員会。考える事は皆同じだったのだろうか。しかし目の前の彼も何か考え込んでいる様子から体育もどうやら怪しいらしいと踏んで。聞こえた先輩の名に、もしかしたら作法も何か一枚噛んでいるのかと―思考するのに向き不向きな場所と状況がある。現時点寒い廊下で彼と二人、放送直後と言う場面は明らかに冷静な思考はもてないだろう。どうやら顧問と委員長代理が考えた背水の陣作戦は失敗に終わったようである――)あー、と、ですね……(笑い飛ばせればどれだけ良かったか。彼の言葉は紛れも無く真実であり、梅宮の性質として嘘は上手にはつけないタイプである。隠し事を続けるのには限界があっただろうし、今の放送が無くても遅かれ早かれわかっていただろう、ならば今言った方が―寧ろ今言うべきなのではないか。)…あんまり、有能なスパイではなかったみたいだけどね、一応、火薬委員の五年生だし、また雑費も貰えない様だと困るから、…その、……ごめんなさい!(鳴った本鈴に負けない位の、珍しい大声。言い逃げ御免とばかりに踵を返せば万年帰宅部火薬委員所属、体育の成績は常にアヒルの梅宮にしては珍しく全力で―火事場の馬鹿力と言おうか、逃げ足だけは速いと言おうか兎にも角にも普段からは想像も出来ない速さで教室に駆け込むのだろう。)



ふふふ、いますよ。千里さんを必要としている男が、ここに!

平滝夜叉丸(全く根拠のない理由に頷かれてしまっても特別慌てたり訂正したりすることはなく、「それも一つの要因でしょうね!」と自信満々に胸を張って、)昔から!…長い間培ってきた仲…ううむ、いやでもしかしあれですよね千里さん、愛とは時間で決まるようなものではない!量より質でしょう!まぁ、量も質もありますがねぇこの滝夜叉丸の溢れんばかりの愛は…!(妙な闘争心は消えずに燃え盛り拳を握る姿まで。それも、話に上った土井の人間性の良さと容貌を、自身より上だなどとは考えていないが、それなりに評価しているからである。化学についての話には、彼女は文系なのかと勝手に納得し頷いて、それでいて化学室の物の配置に詳しい様子であることに首を傾げつつも、そうなんですかと相槌を返した。)元気すぎて迷惑ですよ全く。この時期の廊下は寒いですものね、お姿をあまりお見かけできないのは寂しいものですが風邪を引いてしまうよりは良いと思えばこの切なさも解消されるでしょう…(今も引き止めてしまって申し訳ないとまでは気が回らないようだけれど、うんうん、同意するように腕組んで頷いて、それでも彼女と話せていることに幸せそうな笑みが浮かぶ。――聞こえたノイズ音に、その眉間に小さな皺が刻まれるのだが。自身の委員会事情など詳しくないからスパイの有無など知らずに居た滝夜叉丸だが、きっとあの元気な女の先輩も自分の予想通りそれを行っていたのだろうと確信する。そういわれてみれば、報告だのなんだの、顧問の厚着が言っていた。そこまでならまだいいのだ。自分の委員会が何をしていようと、滝夜叉丸には直接関係のないことだったから。他の委員会が行っていたこともどうでもいいはずだった。しかし、―彼女が自分に、となればもちろん話は変わってくるのだ。そうなると、今まで信じていた―思い込んでいたものが、全て覆されることになるやもしれない。彼女は笑い飛ばしてくれなかったから、尚更不安は深まり滝夜叉丸からも笑みが消え、眉がハの字に下がった。続く言葉を聞くのが怖い。怖いけれども、聞かなくてはいけない気がして。――聞かされる真実に、がらがらと何かが崩れるような音がした。無機質なチャイム音などただ通り過ぎていく。)―ち、千里さん!!(彼女の大声に我に返り走り去るその姿を追おうと足を動かしかけたが、教室へと消えてしまった。廊下の人影も次々と消えて行き、ただ呆然と立ちつくす滝夜叉丸は、やってきた教師にせっつかれるまでそこを動けなかった。――おれ相手にスパイを送り込むなんて、火薬委員会もなかなかやるものだなぁ!と、笑い飛ばせるはずの自分が、いない。彼女が自分に好意を寄せているから、仕方なくそれに答えてやっていた、だけのはずだったのに。―何を立ち止まっているのだと注意する声も耳に入らず、情けなく笑って、己にしては弱気な声で、吐き出す―)…そうだったのかぁ、(隙間風が冷たい。力の抜けた身体を無理矢理動かすと寂しげな廊下をとぼとぼ歩いて階段を下った。己の教室の扉を開くともうとっくにHRは始まっていたけれど、怒鳴る教師の言葉も聞かずに席につき、頬杖をついてただぼうっと外の景色を眺めた。窓に映る自分の姿に目もくれず、寒がるように揺れる枯れ木たちを見つめながら、大人しくこの時間を過ごすのだろう。しばらく数日は、項垂れた姿が続くはずで―)


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